2018年5月からの計画

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・HCI/VR/ML 系のカンファレンス探す

・ジョージアに行く

・セルビアに行く(ドナウ河を見る)

・論文進める

 

くらいかなあ。最近の自分に新規性がないように思えて少し幻滅してしまいそうになる。自信満々で人生を楽しんでいるジョージア人やイタリア人を見習いたいものだ。

 

ドナウ河を見たいのはエミール・クストリッツァの『黒猫白猫』の影響。いつ死ぬかわからんし果たしたいことを片っ端からかたづけていこうかなと。昔の思い出を成仏させたいだけなのかもしれないけど、それでも私にとっては夢のような場所なのだ。究極をいえばクラスメイトにバングラデシュ人がいるから、ルイス・カーンの作ったバングラデシュ国会議事堂も見たくはある。もはや10代のころの聖地巡礼である。ばかばかしくてむしろ楽しさしかない。

 

8月には恩師とタリンで食事の予定。8月にはタリンにいよう。

 

なにか楽しみを見つけないとやべえなあと感じている。真面目すぎるのはよくない。過学習になる。賢い雑さが欲しい。

線形代数・微分積分、Machine Learning、また振り出し

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やりたいことがわからなくなった。

 

前進はしているのだ。しかし、明確さが失われた。

 

やったことがないことをやろうとしているからなのだ。未来の予測は過去の連続からくる延長線でしかない。あやふやな感覚を抱えた現在から過去を評価して未来を描こうとしても、過去の評価が曖昧になるのだからそこから来る未来のイメージというのも当然に不透明なものとなる。

 

やりたいことが不明確になってきた原因は新しいことを学んだからだと思う。

 

・Computer Vision(CNN)

・Machine Learning(Regressions)

・線形代数・微分積分・幾何学

 

新しい要素としては上記。

 

「真実(という感覚)はなんなのか」、「人間が真実味(Reality)を感じる仕組みに詳しくなりたい」とは思っていた。予定変更になる。

 

科学的根拠は科学的合意(Scientific consensus)から出来上がることがわかったことも影響が大きい。

 

人間はだいたいで動的に近似的に生きているといってもよいのではないか。わりと適当に人類を過ごしている。普段から人間はVirtualなのだと思う。

 

まあ、現状を楽しんでいきたいところ。

 

 

自分より若い方へ: 何事も起こりますように

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エストニアの現地学生の相談に乗ることが増えた。毎回、3から4時間。アドバイスはせず、ただ黙って話を聞く。日本に戻ろうかだとか、就職を含めたキャリア相談だとか。

 

なぜ人の話を聞く機会を作っているのか。若いひとたち視点の経験として「私の話を年上の人がただじっと聞いていた」ということを増やしていきたいからだ。増やしていけば、少しでも自分が未来に貢献できているかなと思えるのだ。自己満足です。

 

若いひとたちにいうことなど一つもない。自分が大学生のときはそう思っていた。いまは、一つだけ期待していることがある。「何事も起きますように」ということだ。

 

人間、病気をしなければ、いずれだいたいは老人ホームに入る。統計からみれば、日本在住なら80歳付近で死ぬ。その間をどう生きるかが生きることのおもしろさなのではないか。

 

なるべく悪いことが起こらないように人生をデザインすることはできる。反対に、リスクを取って現状の外で生き続けようとすると「普段」というものがなくなる。すべてが不規則に感じる。

 

何事も起こるうることのおもしろさと(一種の感覚的な可能性の)フェアさを楽しんでくれたらなあと。それが老害の私の思うところです。もちろん私がそれをまず楽しんでいきたいのですけども。

 

 

ADHDにとってのちょっとのきっかけ

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ゲームカンファレンスに行った。トルコから来ていたインディーズゲームのCEOとADHDの話題で盛り上がった。彼もADHD。エグいジョークばっかりで笑ってしまった。世界は広大だ。

 

私は診断済みASDだ。エストニアに来てから非定型発達について調べていたら、たぶんADHDも含んでいると思うようになった。

 

ときどき、集中力が散らばっていく様子が美しいなと思う。私の意識はいったいどこにいってるのか。ちょっとのきっかけであっという間にどこかに行ってしまう。性格の悪いねこのようだ。

 

可能性のこととして、ちょっとのきっかけで集中もできてしまう。何に集中するかの可能性が私の眼の前には広がっている。そういった意識で楽しんでいきたい。

 

 

 

 

エストニアに来て8ヶ月だった

軽く振り返りを

 

・1学期よりは成績悪くなると思う

・1学期よりは授業はぬるかった

・あと1授業とってもよかったかもしれない

・健康面は1学期よりとてもよい(そこは自分を褒めたい)

・3DCG製作や2Dアニメ製作ができたので満足といえば満足

・研究テーマの教授への受けはそこそこよかった

 

・卒業後のことを考える

・考えるが、決まっていない

・博士課程には進学したい

・国はどこになるかわからん

・博士取ったあとは民間かなあとは思っている

 

・英語だいぶ慣れた

・日常会話は相変わらずわからん

・授業の聞き取りはよくなってきている(これは大きい)

・スピーキングがいちばんひどい

・Reading>Listing>Writing>>>Speaking

 

・1年後、自分が何をやってるかなんてわからん

・3年後なんてもっとわからん

・でも、それくらいでよいと思う

2017年エストニア留学生活の振り返り

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2017年と言っても、自分のなかではエストニアでの8月から12月があまりに濃すぎた。ざっと書く。まとまりなどない。

 

[8月]

中国は武漢、ロシアはモスクワ経由で、エストニアへ。モスクワからエストニアへの経路は、陸路でバスという超強行だった。

 

中国は地元の市場でラーメン食べたり、露天のおばちゃんに中国語教えてもらったりして楽しかった。そのとき黒のジェットストリームパクられたが。ホテルから出るとき、バスに乗り遅れそうになって走ったせいで、入り口の2メートルくらいあるガラスに思い切りぶつかる。従業員の人がすごくかわいそうなものを見るかのような目をしていた。すまんかった。

 

問題はモスクワ。市内で日本円をルーブルに一切換金できなくて(香港から来てる女性に途中で出会い助けてもらった)水すら買えなかったり、モスクワで取ったホテルが冗談レベルでひどかったり(ベッドに羽虫が大量に死んでいた)、ロシアからEU圏に入るときに20分以上もセキュリティチェックで止められてお互い片言の英語で切り抜けたり。同じことを二度やれといわれても出来ない。運んでた荷物も合計で40kg超えてた(23kg+15kg+α)。大荷物でのモスクワの地下鉄は無理。旅行初心者が陸路でロシアからエストニア入るのも無理。慣れてないとは言えアホな旅だった。でも、人生でいちばんイケメン美人を見たのもモスクワの地下鉄か。

 

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8月23日にエストニアに着く。同居人はすでにインターネット上で見つけていた(MBAエリート学生が華やかな経歴を武器に同居人を募集しているなかで「俺はアニメオタクだ!ゲームも大好きだ!料理もできるぞ!」と言ったら48時間で10件以上問い合わせが来た)。

 

同居人はエストニア人のアニメーター。6ヶ国語はなせる。彼にバスターミナルで迎えにきてもらう。この頃の記憶といえば、チーズとピクニック。エストニアのスーパーマーケットで売っているチーズが安すぎて、黒麦パンと一緒に買ってよく食べた。同居人は散歩が好きで(エストニア人は友達と遊ぶときに「散歩しながら会話する」というのをよく選ぶ)、タリン市内の森を散策がてら、よくチーズを挟んだパンを食べた。他には、計画断水を経験した。エストニアでも意外とそういうことあるんだなという印象。9月の中頃までは同居人の実家に住んでいた。実際のエストニアの家庭で生活できたのはよい経験だった。北欧のキッチンが好きになる。

 

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8月28日からは、大学で国際留学生むけのオリエンテーション週間が始まった。私の左側の座席にいたのは、フィンランド人とブラジル人。右側はトルコ人だった。アジア人は見た感じ30人に1人くらいで、日本人は全体で10人ほどらしい(過去最高の人数)。エストニアの国境警備隊、大学関係者などから、パワーポイントでエストニアでの暮らし方を聞く。エストニアの大学を卒業すれば、継続して在住権がとれるようなので、ラッキーだなと感じる。SIMカードは学校から無料でもらえた。配られたトートバックに入っていた資料はめんどかったので読んでいない。

 

8月の英語は本当にやばかった。何を言ってるかほぼ聞き取れない。話題があらかじめ具体化されて半分聞き取れればよいレベル。こっちが言っていることは、いま思うと通じてはいた。しかし、英語的メンタルがまだ未熟だったので、通じていないと思っていた。

 

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[9月]

正式に授業が始まる。当たり前なのだが、すべて英語。先生が何を言っているのかがわからない。先生によって国籍も違う。訛りがいろいろあるのだなあと思った記憶はある。文字による英語でなんとか授業についていった。宿題については何を提出してよいのかわからないので、毎回クラスメイトに聞いて提出していた。

 

エストニアの大学院では、紙はまったく使わない。すべてオンラインでの課題提出になる。よってクラスメイトの提出した宿題をすべて読んで、宿題に使用されているフレームワークを抽出して、そこから推論して課題の製作をしていたりもした。質問が求めている答えさえわかれば英語ができなくてもなんとかなる。「論文を読んで何を理解したかを書く」という形式のレポートはまじできつかった。

 

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文章を埋めるためのフレームワークがあらかじめ与えられていない場合、初学者はこんなにきついのか~という感じ。合理的だなと思う授業はフレームワークを与えてそれを埋めてねーという形式だったため、留学生が多い授業だとこっちのほうがよいと思う。授業ついていけてない学生のために、先生の研究分野でのおもしろい記事みつけてリンク貼ったら評価ポイントあげる、だとか、Googleのアンケート使ってミニテストするのは授業設計で参考にしたい。

 

エストニアの寒さにやられる。15日間をこえて、謎の高熱と咳に襲われる。よく授業に出席してたなと思う。一部の授業では意識が朦朧としていたため、内容は聞かずにぼーっとして乗り切り、宿題だけ提出していた。9月の頭から中旬にかけては留学生の何割かは鼻をすすっていた。寒すぎて。9月にしては寒い、ということなので、アジア人からの感覚なのだろうか。風邪薬は同居人からもらったのだが、箱にエストニア語とロシア語とラトビア語とリトアニア語でみっちり文字が書いてあって何の効用があるのかまったくわからなかった。効いたという感覚もなかった。

 

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住宅についてはトラブルがあり、「リフォームが終わらないから」という理由でもともと住むところには住めず、バックパッカー宿から大学に通う日々が続く。相部屋になったスロヴァキア人とボロヴィチカというスロヴァキアのお酒を飲んだ。よい思い出。彼はたぶんものすごく性格がいい。私の咳が常にひどすぎたのに何も文句を言ってこなかった。

 

9月15日から新居に入った。新居は本当にやばくて、入居した時点でまずリフォームが終わってなくて私の寝るベッドがなかった。オーナーに抗議したら、リフォーム途中の木材が山積みになっていて壁にペンキ塗りたてみたいな部屋にベッドが無理やり置かれた 笑。風邪も引いていたし、またAirbnbで物件を探すのも宿題が山積みになっているなかではもはや面倒くさすぎたので、やけくそで新居での生活が始まる。

 

ある日は丸ごとガスコンロが撤去されてご飯が作れなかったり、朝起きたらロシア人の職人さんが廊下で床板を剥がしてたり、カオスな生活だった。オーナーと職人さんたちは、ロシア語かウクライナ語なら通じるので、朝の挨拶がロシア語になる。洗濯機の説明書もロシア語。どうしようもないのでDuolingoでロシア語の勉強を始める。

 

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やけくそで生活していたので、最初に洗濯機が回転したときは感動した。ロシア人の職人さんから動かし方を習ったのだが、私より英語ができないので、最終的には、магия?(マギャという発音、ロシア語で"魔法"という意味)をぐるぐる動く洗濯槽を見ながらお互い連呼するという意味の分からないレクチャーになった。マギャ?(魔法?)、マギャ!(魔法!)と2人で洗濯機の前で唱えていた。同居人とオーナーはウクライナ語で話すのだが、ウクライナ語の発音はたいへん美しい。いつか首都キエフに行ってみたい。

 

9月半ば、奨学金を受け取れないということが結果としてわかりパニックになる。その場にいた政治学を学びに来ていたパキスタン人から「何か食べろ、何か飲め、そしたら寝ろ。起きたらすべてが上手くいっている」と説得をうけて落ち着く。彼の説得がなかったら今の生活はない。下手すると辞めてた。中東系の学生のメンタル強者っぷりは異常。見習いたい。

 

授業は8コース取った。32単位分。

 

友達がとある日本好きが集まるイベントでエストニア人の子とデートに行くのを確定させていた。見た目モデルみたいな子、金髪碧眼。なにそのエストニアンドリーム? Fateのセイバーじゃん。私にそんな余裕などない...。爆発しろ。

 

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[10月]

相変わらず先生の言ってることがわからない。ジョージア(旧グルジア)から来ているクラスメイトの英語の上手さにびびる。ジョージアの学生は、ジョージア語・ロシア語・英語が理解できるっぽいので、数ヶ国語話せるエストニア人といい勝負だと思う。宿題の形式は一定なので、提出には慣れてくる。9月と変わらず、英語でのプレゼンは毎回泣きそうになる。英語があまりにできない自分に耐えれなくなっていたのだと思う。

 

「英語できなさすぎてつらい」という愚痴をよくクラスメイトにこぼしていた。ジョージア人から「そのレベルで英語ができないというのなら、私達なんてもっとできないよ」と言われる。さすがにそれは世辞入っているだろとは思う。授業中に起こるフリートーク気味の先生と学生の会話にも交じることがほとんどできない。だって先生が言ってることもクラスメイトが言ってることもわからないのだから。授業に行っても存在感が出せない日々が続く。成績悪すぎて大学クビになったらどうしようと不安を覚える。でもやっぱりやけくそなので授業はすべて出席する。

 

考えるに、「英語ができない」というのには段階がある。10月は「クソみたいだし通じない英語(IELTSのWritingみたいな英語しゃべっていた)」から「クソみたいだけど通じる英語」への過渡期だったと思う。問題は、英語のメンタル。英語がクソすぎる自分にまずは慣れよう。ちゃんとクソみたいなレベルだと自覚することから始めよう。

 部屋のオーナーが帽子を趣味で作ってるので、エストニアの地元の蚤の市に手伝いでかりだされる。英語は通じない世界。エストニア語かロシア語のみ。外国人(私みたいなの)がいない地元の市場の雰囲気が好きだ。ロシア人からアンゴラの毛98%の靴下を格安で買う。残りの2%はなんなのだろうか。書いてなかった。

 

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[11月]

 バイト月100時間行きながら授業をこなすの無理があった。疲れが限界に来ていて機嫌が悪いのを周囲に隠すのに必死だった。2Dグラフィックスの授業ではフォトショップのUXが悪すぎて毎回切れていたと思う。

 

11月あたりまで来ると、「自分が英語がクソすぎること」にメンタルが慣れてくる。3回くらい「いまなんて言ったの?」と聞き直すのも平気でできるようになってくる。体調が9月以来で最悪だったけど、勢いで乗り切った感。ただ、こんな生活をしていたら長期的に体調崩すので大反省の月だった。

 

映画学校の授業で『ザ・コーヴ』(The Cove)観せられて、先生がめっちゃ日本のとある町の文化のことディスってたけど(まあ、映画スタッフの見せ方が上手かったのもあるのだろうけど)、うちのクラスメイト日本好き相当いたので授業の空気がすさまじく悪くなる。授業終了後、クラスメイトが「あいつ殺す」って陰で先生のこと言ってたのでさすがにそこまで怒らんでもいいだろと思った。私も映画観てるときは悲しかったけどね。私イルカ食べないし。

 

「文化については、問題/無問題の基準を用意することが難しいという前提がある」と、事前に言い訳いれておいてくれればまだ雰囲気もマシだったと思う。基準の正気なんて誰も保障できないから。

 

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[12月]

英語のリスニングがよくなってくる。発音からスペルを想像して、その場で意味をググれるようになる(これができると留学生はつよい!)。12月は...。忙しすぎてよく覚えていない。テスト期間の記憶がない。

 

映画学校でのテストが最初D評価で、さすがにまずいなと思い再試を受ける。なぜか再試に来ているのがクラスメイトのエストニア人しかいなくて合計2名で笑う。成績分布的に、DやCを取ったのに再試に来てない人が大量にいたはず。再試の結果はBで助かる。1回目のテストのときに英語で小説を書く問題があったのだが、1時間かけて書いたら満点だった。地味に嬉しかった。この授業のみ、テストが手書きだった。

 

認知科学/心理学的生理学の授業では2回研究プロジェクトのリーダーをやったのでよい経験になった。Human conputer interactionが好きになる。先生に恵まれたお陰。ラボの出入りもできるようになったしVRの研究もできたしで非常にラッキーだった。先生とチームメイトに感謝。

 

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[1月]

心理生理学の宿題のせいで冬休みなどなかった。12月31日だけ休みにして、旧市街で2018年を迎える。花火うるさすぎた。年越しまわりで3時間ぐらい1秒に1発以上打ち上がっていた。

 

GPA 4.8/5.0獲得。ほぼオールAもしくはPass。よく取れたな...。1月の後半から新学期が始まる。学費の減免が受かったらラッキー。

 

英語でのプレゼンはもうできる。「できる」というのは精神的にできるという意味で、正直なところスピーキングの質は上がっていない。むしろ頭打ちになってきているし、日に日に悪化している気もする。

エストニアで暇 / エロゲー

暇だ。

 

やらないといけないなと感じていることはあるのだ。事務手続きも、細かな連絡も、論文読みも。時間が足りてないといえば足りてない。

 

そんななかで、突然ぽっかりと時間が空いた(そんな感覚になった)。午後はなんにもしなかったと言っても過言ではない。風邪ひいてたから、ちょうどよかったのかと、いま書いていてそう思えてきている。

 

私は退屈を重要視している。退屈は嫌いだ。既視感は敵だ。それでもどうしても暇なときに、この退屈さをどう表現したらいいのだろうかなと考えるときがある。ときがあっていま書いている。

 

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なぜかエストニアでビジュアルノベルゲームを作っている。授業の一環。Ren'Pyというソフトで製作する。Pythonは統計の勉強やってるせいで慣れていたので幸運。書くのにはRStudioを使っている。学校のPCに入っていた。ビジュアルノベルゲームのスクリプトをなぜ統計用IDEで記述しているのか謎だ。カオス。

 

ビジュアルノベルゲームといえば、私にとってはエロゲー/ギャルゲーだ。プロジェクト名は「CLANNAD」にした。

 

エストニアに来て私はなにをやっているのだろうか。

 

 

 

2学期のスキル設定と研究範囲

寝る前に少しだけ書く。頭の整理のため。

 

2学期は1学期より単位申請を控えめにした。

 

2学期のなかで、空いた時間で訓練すること、もしくは、欲しい結果は以下のリスト。

 

・Unity(C#)

・Blender

・Statistics(MATLAB, Jupyter Notebook)

・研究学会に出席すること

・研究学会でポスター発表すること

・研究テーマを絞る

・Speakingの時間を増やす

・引き続きよいGPAを取ること

・奨学金を取得する

・学費の減免を得る

 

優先順位としては研究学会への出席経験が欲しい。先生と相談しよう。

2018年の抱負

真実(という感覚)はなんなのかを、2018年も調べていくのではないかと思います。人間のどこに、どうやって存在するのか。

 

人狼というゲームを2000時間以上やってみて、人が感じている真実味とは一体なんなのかが、心のどこかにまだひっかかっている。みんな、意外と適当に生きているのではないか。マイケル・ジャクソンの映画『THIS IS IT』において、その"THIS IS IT"って感覚はなんやねんという。そのとき確かに感じられている真実味とは、いったいなんなのか。どこからくるのだろうか。

 

予定がぎっしりつまっていても、ゆっくりお風呂に入り、のんびり食事をして、深い眠りをルーチンとして取ることを気をつけたい。そういった日々に感謝をしていきたい。自分ひとりで生活は決して成り立たない。

 

 

エストニアの生活記録を始めます

「生きてるの?」という声を多数ちょうだいしましたので、生存報告もかねてブログを始めたいと思います。

 

エストニアの生活記録も含め、お届けできればと思います。