どこから来てどこへ行くのか

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人類はどこから来てどこへ行くのか、という話はしない。ただの私の話だ。

 

けっきょく小さな漁師町の海沿いの家に生まれて、そこから紆余曲折あってエストニアにいる。英語圏での生活。起業もしたし、次の学期からは人工知能の授業でティーチングアシスタントも始める。

 

1年後のことなんて予測が不可能だ。来月に何が起こるかもわからない。

 

「先行きが不透明」や「見通しが悪い」という言葉での表現は間違っている。透明度の高い空間で生きているとは思う。透き通ったランダムネスが先にあるのだろうということ。

 

たぶん、もう死に方は選べないと思う。「どうやって」も、「どこ」でも、「なぜ」も。わからん殺しされないように気をつけたい。でも、それだったらそれでもう仕方ないかなと。健康ではありたい。

 

不規則性が飛び交う空間のなかで、圧倒的な不確定性と付き合っていくには教養と筋肉がやっぱり重要ということはわかってきた。

 

せめて未来を祝福できるように、偶然を肯定的に捉えることができるように勉強を続けたい。勉強は楽しい。苦しいときがもっぱらだけど、そのなかで楽しみ方をもっと身につけていきたい。勉強したことが視点にもなり得るだろう。