元ネトゲ廃人ニートがエストニアで博士課程を目指すようです
進路についてだけど、いまの師匠に就いてまだ勉強がしたい。内部進学を目指すことにした。たしかエストニアなら博士に行くだけで最低限の生活費は支給されるはず...。まあ、落ちる可能性もあるからなんとも言えない。とりあえず目指すか~くらい。エストニアの政府奨学金は受かったし、内部での博士応募もそこまで難しくないのでは...と。
人生で博士号とるくらいしかいまやりたいことがない。本当に。興味範囲としては、アバターと社会規範の関係性についてかなー。まだ調べて生きていたい。博士、3年だとどう考えても足りないよね...。
残りの人生を考えたとき、後悔がないのは一流の研究チームに身をおいて彼らが世界をどう認識しているかを見習うことなのだと思う。彼らの世界観が私の今後の財産になるはずだ。
私は既視感と戦ってるのがすきだ。たぶん、愛している。そういった人生を健康のつづく限りすごすのだろう。TSUTAYAやブックオフ通ってたニート時代とまったく変わっていない。
研究室通うのなんてネトゲ廃人のときの感覚だ(新一年生への指導は、ネトゲ廃人のときのうちのチームで行っていた教え方と同じだ。役には立っている。「この世に運用できない資産はない」のである。それか「点と線をつなぐ」とかっこよく言ってもよいのかもしれない)。
ある意味、はやりの異世界転生ものを身体張ってやっているようなものなのかもしれん。「元ネトゲ廃人ニートがエストニアで博士課程を目指すようです」みたいな。
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(追記)
上司のプロジェクトの打ち合わせ中に「(私が在学中にこれ終わるかわからんし)このプロジェクトでまだ働きたいから博士課程行きたいんだけど」と言ったらその場で他の研究者の人に手続方法を確認してくれた。たぶん受かった? 「いまいるプロジェクトの在籍延長」って名目で博士いけるのか…。いろいろびっくり。
ラボの雰囲気はとても好きだ。人間不信の私だが居心地のよさを感じている。「モニタ1台増やして」ってお願いしたらモニタ2台増やしてくれた設備担当の研究者の人にも感謝(その後、博士課程とか上司がいる机の方に強制移動。助かってます)。やりたいことをやれている感覚がある。
ネトゲ廃人のときと同じで一日だいたい12時間以上室内にいるんだけど、それで政府から給付型奨学金もらえてまわりから博士課程進学まで推奨してもらえるというのもなんだか変な気持ちである(ちゃんと上司の仕事手伝ってはいるぞ!)。
友人から「もっと規模の大きい国外のラボや違う部署への進学も考えたら?」と助言をうけたけど、いまいるニューロサイエンスチームの人間関係も心地よいし、なんというかポスドクで名の通ってるところ行けばいいかということで日々を過ごしている。うちのチームまとめてる人はEUだと少なくともすごい人だし大学のネームバリューはそこまで気にしてない…。
居心地のよさに違和感を覚える自分の自尊心の低さがどちらかというとヤバイ。まあ発達障害の診断受けてて自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の気があるひとは英語覚えていっかい国外に出てみればいんじゃないかなーとは思った。ネトゲをガチでやってるときと研究がんばってる感覚はそれほどマジで変わらん。