いつも友達と遊ばない人生

修士論文が終わった。学生生活も一段落だ。(論文と一緒に出す宣誓文を忘れていた。ぎりぎりで出したけど、エストニアの国民IDを使った電子署名ではない。Adobe使った署名だったので受理されるかわからん)

 

180日以上ほぼ連続でラボに行ってたから、研究面は順調だった。反面、クラスメイトと遊びにいったりはできなかった。そもそも私は電話回線を一年以上もっていない。

f:id:thirty_eesti:20190508072551j:plain

『違国日記』 2巻 10話 ヤマシタトモコ

 

思うと日本の大学に通ってたときもそうだったなと思いだした。部屋に引きこもってずっとゲームなりプログラミングなりしてた気がする。

 

というか、ほとんど生まれたときからそうだ。集中すると、周りの音が聞こえなくなる。朝、図書室で本を借りて授業中に先生の話を聞かないでずっと本を読んで(高校生までコナン・ドイル → アガサ・クリスティ → モーリス・ルブラン)、休み時間もぜんぶ読書に使って夕方にまた図書室に本を返すという生活をしていた。

 

それでも友達でいてくれる人はいて、いまだに付き合いの長い人もいる。私は専門的な知識・技能にしか主に興味が持てない人間だ。基本的には専門家と知識の交換をすることが人生の上位の行為にある。だから研究も楽しいんだけど(いままで就いた他の職業よりは向いていると思う)、それだと下手に外を歩き回るより専門家とのコミュニケーションとして本を読んでたほうが気楽というところがある。ひどいときには一週間で一時間しか外にでない。

 

そんな人生でよいのか?、と聞かれれば知らん!としか言えない。夢中になった結果としてそれでお金がもらえることは素晴らしいことだと思う。たまたま他人との無目的なコミュニケーションが苦手なだけだ。ここまで他人と付き合わない生き方でよいのかなと確かにときどき不安になる。ただそれは、後悔したほうがいいのかな?という疑問に近く、仕方ないよなあと正直思っている。楽して成果出せてお金もらえるならなんでもいいっす(ただし半年ほぼ休みなしな生活は長く走れないだろうから改めたい)。

 

いつもいつでも遊びに誘ったら来るやつではないです。そこは申し訳ない。でも私は勝手に一人で楽しくやるから許してくれ、社会のためには働く。もちろん困ったときには助けれるだけ助ける。わりと基本接してさえいればまわりを助けてるほうだと思う。

 

何が言いたいかというとアホみたいな人間ですけど、今後も皆様よろしくお願いいたします。