現実と非現実のインターフェイス

現実に存在するものをコピペしていけるようになる。

 

もともと、非現実のものを現実に持ち込むのは作家の仕事だった。

 

現実に存在するものには2種類ある。もとから存在するものと、現実の外から来たものだ。

 

宗教は現実の外のものを現実に持ち込むことを日常のなかで行えるようにした。ハレとケという文脈を作った。

 

研究者もそこまで変わらない。発見と発明だ。発見は自然科学においての法則を見出すもの。発明は既存のものを組み合わせてそれまでに存在しなかったものを生み出すこと。

 

私たちは想像以上は視界に映らないものを信じて生きている。私は盆に生まれたから、仏壇に拝むという行為は好きだ。砂浜で火を焚いてその火を提灯にいれて家の仏壇まで持って帰るのがいまでもよい思い出だ。

 

ARもVRも人間がむかしからやってることと変わらない。ポケモンGOとVRChatとお盆にナスの乗り物を作るのはそこまで変わらない。言ってしまえば、プラトンが洞窟のろうそくの影はと言ってるときくらいから。人間はちゃんと非現実のものを現実のなかで扱うことができるし消化していくことが可能なのだ。

 

現実のものすべてをコピペできるようになったとしても人間にとって創作行為はとても大事なのだと思う。ミヒャエル・エンデ的にいえば、創造と言う行為は現実のなかで現実の外を想う行為にほかならないのだから。現実→非現実というベクトルはなかなかないのである。

 

私達は現実でないものを現実で扱うことにとても長けている。なんでかはよくわからないけど、そういう風に生きていってはいる。