時間は暴走もしないし不動でもない

「時が止まったような」みたいな表現が欲しいわけじゃない。でも、以前はそういった表現は恐れていたけれど、いまは受け入れることができるかもしれない。定型的という意味を考えてみればいい。

 

これは都市での時間の感覚なんだと思う。私は時間の流れが早すぎるのも止まっているのも嫌だ。私には私の流れる時間感覚がある。時間に酔っ払える心地よさが速度感覚という感覚に存在する。

 

時間は流れている。それは私が望んだように流れている。意図には反しないはずだ。認識するものだからだ。