機械学習のTA(ティーチングアシスタント)で気づいたこと

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機械学習(人工知能)やプログラミングのクラスについて

 

・プログラミングの授業で先生が設定した授業レベル・授業速度が高すぎて生徒がついてこれないケースを学内でよく見る

・Pythonの習熟度別に授業したほうがよいと思う

・データ構造とアルゴリズムについては宿題でよくね?

・ブレークポイントとデバックを教える - Spyder

・できる子には教え役になってもらう

・教材のレベルについては学期前に吟味しといたほうがよい

・全員のレベルに合わせて授業をするのは難しい 

・何を工夫の対象とすればよいのだろう? まずそこから

・たぶん、実務的にはPerspectivesをなんとなくつかんでもらうだけでもよしとするときもあるんだと思う

 

誰も来ない世界の片隅に研究所を

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ゲーム研究のあつまりに参加。

 

自己紹介をゲーム形式で行う。

 

どういったものかといえば、自分の手で作った(ハサミで切ってもよい)キャラクターをゲームのMAPに見立てた模造紙の上にピンで留める。時計回りでMAP上のキャラクターをつまみ上げて、世界観や生活の設定説明をするもの。もちろん、それを自身の性格を合含めて話してもよい。キャラへの自己投影具合は人によるから、お好みで。

 

私はMAP上の隅っこに研究所を建てて、時間がなかったからキャラは自分の10秒で描いた似顔絵にした(Edge of the universeと最初にMAPに書き込んだ友人は天才だと思う)。

 

自己紹介をし終わったあとに、急に寂しくなった。

 

誰も来ない象牙の塔の権化のような世界の片隅に研究所を建てたとして好きな研究ができたとして私は幸せなのだろうか。それはないと思う。

 

人と接する研究をしていこうと思ったのだった。人に接せれないのはさすがに辛い。私は現実逃避を愛している。それでも人と接することを手放せそうにない。現実逃避をして人と接する仕事があればよいのだが。人生?


他人のファジーさに救われている

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他人のあいまいさに助けられている。

 

そのために他人は存在しているのではないかと思えてしまった。不思議さやいい加減さを自分に教えてくれているのかと。

 

私は生活リズムを崩すと異常に完璧さにこだわるようになる。生産性はかえって落ちる。今日から学校が始まって、他人と会話をたくさんしておかしくなっていた睡眠周期を元に戻すきっかけがつかめた。

 

私にとって、「学校に週7回行って勉強すること」と「1週間に1時間しか外に出ない生活をすること」は、ほとんど一緒だ。それでも、健康面でいえば明らかに前者のほうが生活の調整がしやすい。

 

他人とは厳密なものではない。今日はそう感じる機会が多かった。私の認識はうつろいやすく、それによって他者についての記憶もいい加減になる。結果的に、他人とはあいまいなものになる。それくらいでいいんじゃないかと思う。

 

他人に求めるものは壊れきっていて元にもどらなくってもよいのだ。自己像も最も親しい他人に入るのだから、自らに多くを捧げる必要も元からない。気楽でなくても憂鬱でなくても、なんでもありなのだろう。

 

 

コンピューターに美観を与える / 「見なす」とは?

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コンピューターが人間と同じものを見れるとする。視界として。

 

生理学コンピューティングの下地があれば、「コンピューターに美観を与える」という発想が出てくる。

 

人間とコンピューターの美観(たとえば映像にたいしての)が似たようなものになったらどうなるのだろうか。

 

似てるところがわかってくれば、人間独自の美観とはなにかがはっきりすると思う。ちょうど、他の生物と人間の体の仕組みを比較することによって、人間の特徴的な機能が理解しやすくなるのと同じように。

 

人間のように振る舞うものを、人間はけっきょく人間と見なす。

 

現実の模倣をするものを、人間は「模倣したもの」とは解釈しない。実質的に現実と同じ機能を果たすものと見なす。私はそれは高度なことだと思う。他の生物はするのかな...。

 

非現実のものをなぜ私たちはここまで日常のなかで必要としているのだろうか。すばらしいと思えることだけど、なぜなのか気になる。

 

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言語学のカンファレンスがうちの大学であって、そのときに東大の博士課程3年生の方にも似たような話をした。

 

印象に残っている会話で、「けっきょくコンピューターが人間の美観を模倣したとしても、コンピューターには”美”というものは理解できないですよね」というのがあった。

 

そのとおりだと思う。

 

コンピューターに「(たとえば)Aは美しい」という解釈を定着させることはできる。「美しいとはなにか」も訓練して教えることは可能に思える。でも、「”美”とはなにか」は無理なのではないだろうか。

 

生来的なものの機能(生まれたときから必然的に感じる音や映像の心地よさ)をコンピューターに考えさせるのは難しいという話を書いている...?

 

 

 

 

 

なぜここまで認識は多様なのだろうか

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朝食の会話で人間の豊かさについて味わったあと、昼には理不尽に辟易して、日の沈む頃には自分の愚鈍さに嘆くことをあきらめる。

 

自分の感覚の多様さに驚かされる。

 

認識っておもしろい。他人の存在は娯楽だ。

 

自分のことを知ることを諦めないでいたい。化学と電気だけではもったいない。

 

明日からまた学校に行く生活が始まる。

 

 

 

「高度」なAIってなんなのだろう

www.youtube.com

 

(動画について : 姿勢推定でダンスの動きを抽出。他人の姿に切り替えたうえで同じダンスの映像を人工知能が生成する。論文のタイトルが「Everybody Dance Now」というクールっぷり。カリフォルニア大学バークレー校。「あなたもクラシックバレエとかロボットダンスを(映像のなか)で踊れることになる」)

 

それはただ高度に見えるだけのコンピュータサイエンスなんだと思う。

 

そのように見えてそのように動いたらそれはそれである、というか。プログラミングでいうと、ダック・タイピング(”アヒルのように歩き、アヒルのように鳴くものはアヒルに違いない”)。

 

「高度に見えるAI」という表現にある一定の理解ができるとして。同意している部分の「高度」とはいったいどんなものなのだろうか? 

 

私たち人間は「高度な活動」というものにある一定の割合で共通な感覚を持っているとか?

 

もちろん、機械学習の理論として「原始的なものを発展させて」という意味もあるだろうけど。

 

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いまは(当然のようにまた予定変更で)機械学習においての遊びや芸術に関することに詳しくなっていこうかなと考えている。

 

人間は暇になったら、なにをするのだろう。人間の仕事は人工知能に奪われたと表現するのだろうか。人工知能は可処分な時間を生成したとも言える。

 

やりたくない仕事をやらなくて済むという文脈もある。

 

人工知能がお医者様のレントゲン判断の仕事2000時間を5分で終わらせたとする。浮いたおよそ2000時間で、お医者様は、より優先順位が高い仕事に集中できるとする。

 

「ふつうの職場」で2000時間浮いた場合、その2000時間はどうなるのだろう。その場合の「ふつうの職場」とはなんなのだろう。

 

映像解析と映像生成についてやると思う。どうなるかはわからない。ストレスフルである。はっきりいって。寿命縮んでそう。

どこから来てどこへ行くのか

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人類はどこから来てどこへ行くのか、という話はしない。ただの私の話だ。

 

けっきょく小さな漁師町の海沿いの家に生まれて、そこから紆余曲折あってエストニアにいる。英語圏での生活。起業もしたし、次の学期からは人工知能の授業でティーチングアシスタントも始める。

 

1年後のことなんて予測が不可能だ。来月に何が起こるかもわからない。

 

「先行きが不透明」や「見通しが悪い」という言葉での表現は間違っている。透明度の高い空間で生きているとは思う。透き通ったランダムネスが先にあるのだろうということ。

 

たぶん、もう死に方は選べないと思う。「どうやって」も、「どこ」でも、「なぜ」も。わからん殺しされないように気をつけたい。でも、それだったらそれでもう仕方ないかなと。健康ではありたい。

 

不規則性が飛び交う空間のなかで、圧倒的な不確定性と付き合っていくには教養と筋肉がやっぱり重要ということはわかってきた。

 

せめて未来を祝福できるように、偶然を肯定的に捉えることができるように勉強を続けたい。勉強は楽しい。苦しいときがもっぱらだけど、そのなかで楽しみ方をもっと身につけていきたい。勉強したことが視点にもなり得るだろう。

 

 

Windows10上でKeras使ってGPU演算 (CUDA v9.2)

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授業で出番がくるだろうからWindows10でKerasを動かすやりかたを試してみた。GPU演算。

 

Visual Studio 2017(C++, SDK)

CUDA(v9.2)

cudnn(v9.2)

Anaconda(Python 3.5.5)

Windows10 Pro

GeForce GTX 1070

 

授業で気をつけたいことは、GUIでTensorflow-gpuインストールしないでCUIのAnaconda Promptでインストールしてねーってところ。

 

システム環境変数は勝手にプログラム側がパス通してくれてたし、こちら側が手動で環境変数を追加する必要はない。

 

不安な点はcudnnのファイル置き換えがフォルダごとなのかフォルダ直下なのかはっきりしてないくらい。

 

GPU環境(Anaconda関係なしに)が整ってるかはコマンドプロンプトでnvccと打てば確認できる。nvcc fatalと返ってくればよい。

 

Tensorflow上でGPU使ってるかの確認はSpyder上でTensorflow呼び出してなにかしらのコードを実行すればよい。タスクマネージャーでGPU使用が認められればOK。

 

 

参考リンク

qiita.com

 

liaoyuan.hatenablog.jp

 

qiita.com

「頭が悪い」の条件

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私は他人を褒める文脈で「バカですね!」と言うときがある。価値観に従って生きている人が好きなのだ。わかりやすくてよい。

 

他人を非難する文脈で「頭が悪いですね」と言うときもある。「嫌いな人に嫌われるのは損失である」と思っているから、仲の良い人としか口喧嘩にならないというのは付け加えておくとして。

 

頭が悪いというのは、個人的にはどういう解釈をしているのだろうか。ここで少し考えたい。

 

おそらく、想像力の欠如なのではないか。その場合、視点が先なのだろうか、想像力が先なのだろうか。

 

 

 

 

気楽に考えたい

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ジョージア人やイタリア人を見習って気楽に物事を見る視点をいつもひとつは用意していたい。彼らは感情のよさをよくわかっている。

 

個人がその個人において考えるときに出てくる深刻さというものは、基本的には自己満足だ。深刻に考えたいから、深刻さという感覚を欲する。

 

私にとって気楽さとは、「見通しが悪いこと」なのか。「考える必要がないことを考えること」を深刻と言えばいいのか。

 

気楽さは力強さであってほしいし(嫌味のなさからくる気品でもよい)、深刻さは想像力であってほしい。

 

静かであるとはどういうことか

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音がしないという意味ではなくて。

 

心が落ち着いている状態ということを考えたい。

 

静的であるということはどういうことなのだろう。

 

人間に停止した状態を維持するということは生理学的にできない(人間の状態でいちばん動的でない状態とはおそらく死体のことなのだけど、死体ですら変化していく)。

 

心が落ち着くという面から考える。心が静かだという状態を考えたいのだと思う。

 

集中できていることが精神的に静的な状態なのだということにしておきたい。

 

 

 

 

充実した生活のサイクル

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研究機関に所属する人たちと話す機会が増えてきた。研究の話をすることがここまで日常的になるとは思っていなかった。留学する前からは想像もできない。理想の生活サイクルだと思う。

 

私は他人と専門的な知識や技能について知見を交換することを愛している。原因が発達障害だからかはわからない。

 

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大学の夏季学校(サマースクール)の中間発表を見に行った。

 

夏季学校とは、夏休みの間だけ開かれる公開講座のようなものだ。

 

2週間でひとつのプロトタイプを4人のグループで作り上げる。領域はウェアラブルについて。

 

そこには日本の著名な研究機関の方もいた。偶然の出会いだ。年齢も近かったせいか話も合った。その日の授業が終わってからいっしょに公園を歩きながら、日本の研究シーンについて意見を交換した。厳しい話もあったし、その中で明るくなりそうな部分も見えたり。

 

楽しく会話をして解散。

 

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帰りのバス停で来るバスを待っていた。なかなか来ないので暇つぶしに隣の人に話しかけたら、フィンランドから来ている研究者だった。

 

睡眠を研究する機関に勤めていると話してくれた。今日からバカンスだよ、とも教えてくれた。サマーハウスに行く途中だという(サマーハウスとは北欧の人たちが夏休みに行く別荘のようなもの)。

 

彼は神経学の博士号を持っていた。話題は、人間の生体データの測定対象について。お互いの研究分野で知識が被るところも多く、けっこう盛り上がった。fMRIはやってみたいのだよな…。豊かな時間だった。

 

こういう日が生活の基本的なサイクルになってくれると楽しいと思って書いた。

筋肉と教養は海外留学で役に立つ

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もはや1ヶ月先のスケジュールがわからなくなってきた…。

 

上司のプロジェクトに参加することになったと思う。たぶん。

 

私はまだ修士1年だからものすごい名誉というか博士課程めざす学生としては順調だ。VRラボにもおそらくアクセスできると思う。

 

VR系の実験やりたいしなあ。上司のプロジェクトで使っている理論を私がやりたいVR実験にむりやり移してもよい(上司もそれを望んでいるっぽい)。

 

何が言いたいかというと、まさかこんなことになるとはなあと。10ヶ月前にはたしてこの状況が予想できただろうか。不可能である。

 

いちおう、楽しいと思った授業から判断しておもしろいと思える研究テーマを選んだ。優秀だと思う上司にも指導教授を頼みいまは頻度高く研究の話をしている。そしてその上司のプロジェクトに入る。念願のVRラボにもアクセスできそうである。いちおう、無駄なく最速で(最速という言葉は本当にあやふやだな)駒を思ったところに進めることができている。ただ、ぶっちゃけただの偶然だ。運だ。

 

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機械学習はやるかもなーとは思っていた。でもディープラーニングだとは思っていなかったよ…。すべてがカオスのなかに思える。役に立つのは教養と筋肉だ。勉強と筋トレはランダムネスの嵐のなかでもちゃんと役に立つ。というか、そのなかで泳ぐためには教養と筋肉が必要なのだ。

 

とりあえず、もう生きてればいいや…。元気にご飯食べてお風呂入ってぐっすり眠るルーチンを基礎として新しいことを学んでいきたい。論文もプロジェクトでコツコツやってれば生体コンピューティング+VR+ディープラーニングの範囲でなにか見つかるだろう。順調なんだけど、「先が見えない」という感覚もべったり付きまとうから、順調さをどう評価していいのかさっぱりわからない。運はよいのだろう。役に立ったのは教養と筋肉だ。体力。そんな感じです。

エストニア10ヶ月で触れた学問領域と個人的感想

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この10ヶ月で自分が学んだものをまとめる。少しでも触れているものも含める。それぞれ雑感を書き、今後のキャリア・研究テーマの方針づけにすることを目的とする。評価の星は3点満点。★3つで満点。

 

・生体コンピューティング / Affective Computing

学際性★★★

難易度★★★

興味★★★

就職???

研究テーマとしての需要???

 

[雑感]

もともとこれがやりたくていま大学にいる。生体コンピューティングは英語で書くとPhysiological Computing。上司候補は2人いて、一人は脳波測定を用いてオーケストラを組織するアートプロジェクト、一人は脳波測定とVRを使ってマインドフルネスについて論文を書いている。2人ともとても優秀。ただ、この分野の需要がよくわからない…。もっと脳神経科学よりの基礎的な知識が必要だと個人的に思っている。大きく言って、脳神経に関する知識、主に脳を測定する方法・機器に関する知識、Unity、Blender、Maxなどの実験環境を実装する技術など幅広い知識が求められる。工学者が医学勉強してる感じもある。Human Computer Interaction。メディアアートの要素が強いイメージ。

 

・Brain Machie Interface

学際性★★★

難易度★★★

興味★★★

就職★★☆

研究テーマとしての需要★★★

 

[雑感]

個人的に学際性が最強の研究ジャンル。 もはや修士の2年で学び切るの無理だと思う。Brain Machine Interfaceについてはこのリンクがわかりやすい。

neuralism.hatenablog.jp

いちばん『攻殻機動隊』や『ソードアート・オンライン』の未来には近いし、人類進歩の最先端を学ぶならこの分野なんだけど、生理学・脳神経科学・認知科学・機械学習・VR・Robotics・CS・医学・法と倫理学・社会学あたりの知識ぜんぶをぶっ込んでいく必要があるイメージ。もう世の天才たちが勝手にやってくれるんじゃないかな?と淡い期待をしていたいレベル。就職はよさそうだとは思う。非侵襲的の研究についてもまだ始まったばかりだけど予算については心配なさそう。民間のね。Facebookをはじめ大きなスタートアップはラボ持ってる感じ。医学寄りか?

 

・心理生理学

学際性★★☆

難易度★★★

興味★★★

就職★★★

研究テーマとしての需要★★★

 

[雑感]

これは完全に医学寄り。脳のはたらきが体や心にどのように作用するか。生体コンピューティングのお母さんって感じがする。ゲストでロシアの研究所から脳科学者が来て講義を何度かしてくれたのでメールアドレスもらったはずだしお茶でもしながら基礎について必要な情報を聞きたいところ。コンピューティング要素そこまで気にしなくて良いイメージなので学際性は上2つよりは低め。 個人的に最近は文献読んでて楽しいジャンル。さっぱりわからんとき多いが。

 

・機械学習

学際性★☆☆

難易度★★★

興味★☆☆

就職★★★

研究テーマとしての需要★★★

 

[雑感]

最強の需要/就職よしの研究ジャンル。ビジネス向けにいうとAI研究。人工知能。もうみんな機械学習やったらいいんじゃないかな。お給料も最強。どちらかというと各研究の方たちが機械学習を実験要素として組み入れるのは必須の流れを感じる。工学系の実験だと。私は機械学習そのものを専攻として論文書くことはないので興味は薄め。というか書けるわけがない。 

 

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(写真は生体コンピューティング)

 

・ゲーム制作

学際性★★★

難易度★★☆

興味★★★

就職★★★

研究テーマとしての需要 N/A

 

[雑感]

ゲーム制作の研究そのものがあんまり学術でなさそうなので研究テーマとしては扱わない。Unity/UEとしてとらえると本当に需要はあると思う。英語できてUnityできるなら少なくともご飯は食べれると思うよ。学際性を★3つにしたのは、領域横断的という意味で。一人でストーリーもキャラデザも音楽もSEも開発もレベルデザインもサーバー管理もコミュニティ開発もカスタマーサービスもやろうとすると詰む。でも世界にはやってる人いそう。様々なプラットフォームの手助けもあるからね。

 

・VR

学際性★★★

難易度★★☆

興味★★★

就職★★★

研究テーマとしての需要★★☆

 

[雑感]

私はどちらかというと医療や教育の既存のマーケットサイズが大きいところでのVR活用に興味がある。日本の複数のスタートアップラボやスタートアップもVRの人材は欲しているように見受けられるし将来性は高いとは思う。学術領域だとVRそのものの基礎研究とVRを利用した応用研究で別れるのでなんとも。VRゴーグルのハードウェア的な基礎研究がいちばん勢いありそうかなーとは思う。

 

・Computer Vision

学際性★★☆

難易度★★★

興味★★★

就職★★★

研究テーマとしての需要★★★

 

[雑感]

 みんな大好きCNN(畳み込みニューラルネットワーク)まわり。大きく言った場合の機械学習においてはComputer Visionのほうが興味ある。将来性ありそう。心理生理学の研究テーマがおわったらこっちやってみたい。人工知能の「思考」より「認識」に興味がある。フッサールいえーい。というか、脳神経科学がまだまだ終わりが見えないのに人間の脳をEngineeringが模倣するのって無理がある気がする。模倣されたように見えたとしても(それが脳のように見え脳のように動いたらそれは脳である、というダックタイピング命題)、それはその時点での局所解でしかないと思うのだよ。なので「認識」のほうが楽しく見える。

 

・3DCG制作

学際性★☆☆

難易度★★★

興味★★★

就職★★☆

研究テーマとしての需要★★★

 

[雑感]

日本だとなぜか給料が低めというツイートを目にすることが多い3DCG制作。個人的にはいちばんやってて楽しいのだけどな…。BlenderなりHoudiniなり。3DCGで就職を目指すことはないけど趣味としては続けたい。Computer VisionやVRまわりでかぶるテーマが多いのも大きい。

 

・メディアとしてのゲーム

学際性★★☆

難易度★★☆

興味★★☆

就職???

研究テーマとしての需要★★★

 

[雑感]

Steamもゲームプラットフォームのスタンダードになったいまインディーズゲーム開発の研究はとても求められていると思う。同時にインディーズゲーム産業を含めたメディアとしてのゲーム分析はおもしろく映ります。

 

・ゲームデザイン研究

 

そもそもゲームデザインをすることについて。HCI寄りかな。眠いのでこれについてはまた今度。ゲーミフィケーションはビジネスでは求められてるし用いられてるかもだけど、ゲーミフィケーションそのものの研究って量があるわけではないイメージ。ロジェ・カイヨワの名前が出てくると社会学って感じだしなあ。

将来マジでわからん

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村下孝蔵の『初恋』を聴いて井上陽水の『飾りじゃないのよ涙は』を聴いてkohupiima-kreemと書かれてあるヨーグルトを食べる。レアチーズケーキの味がする。パッケージにいっさい英語が書かれていないロシア語とバルト三国表記のインスタントコーヒーの袋から大さじ2杯すくって濃いめに作ったコーヒーも飲む。カフェインは普段ダメだ。暇すぎるので(やることはたくさんあるので)今日くらいいいだろう。天気もよいし。北欧もすっかり夏だ。

 

1年後にたぶん卒業しているはずなのだけど予定がない。博士は受ける予定。研究計画書は1万字ほどは書いてあるから今月中に先生と相談する。研究アイデアは他にもあるので修士在学中に2本以上は書きたい。

 

軽い気持ちというわけではないけど、なんかいろいろうまくいなかくなってもまた居酒屋のキッチンから一から始め直せばよいやという自分のなかでのセーフティーネット案はあることはある。

 

フェアではあるとは感じるの。上手く生きれているのだろうか。発達障害の人間としては英語覚えて海外の生態系を見れただけでもがんばったほうな気がしている。