生理学データでgenerateされたデジタル空間の生き物に人間は親近感と信頼感を覚えるのだろうか

自分の子どもが可愛いのは血が繋がってるからというの大きく言えるのかもしれんがそれだけとは限らんからなあ

 

モンスターファームみたいな感じでできないかな

 

DNAレベルからデジタルで生き物に見えるものを育てるというコンテキストはえぐいな

ヒューマンタイピング問題

ダックタイピングと一緒

 

それが人間のように振る舞い人間のように喋ったらそれは人間か?

 

人間と機械の違いはどうやって証明する?

 

私は自分に自意識があることを他人に証明できない

 

他の人間は自意識があることを私は証明できない

 

他の人間は彼ら自身で自意識があることを私に証明できない

 

人間は機械の体に近づいていくし機械は人間の体に近づいていく

 

具体例ードラゴンボールの人造人間ークリリンと結婚したモデル

 

具体的ー攻殻機動隊ー義体

 

トゥルーマンショーー周りがぜんいんアンドロイドだったら?

 

ブレードランナーでもよい

 

人間の生理学的なデータでavatarが妊娠したら人はそれを出産まで10ヶ月育てれるかな? デジタル妊娠というか

 

健全な飽き飽きとする退屈さ

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明日Linkedinのプロフィール再調整してインターン申し込んでみるか。相談出来る人がいないの困ったものだ。

 

飽くなき挑戦というけど私の場合は退屈に耐えきれなくて前に進むしかないという苦痛があるのではないかと思っている。現実に耐えられない。

 

SNSを覗いても刺激にならない。ゲームは楽しい。小説はもっと楽しい楽しい。論文はもっと上手くなりたい。暇つぶしがもっと上手くなりたい。らもさんみたいに階段から転げ落ちたい訳ではないが。

 

 

 

黒猫白猫には沿えている

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祖父のおかげでここまで来れた。好きな映画の筋書きどおりには添えている。物語に呪われてる気はしない。思えば遠くへ来たものだ。

 

さっきランダム再生で10年くらい聴いてる曲に当たってそう思ったのだ。

 

次はどこへ行こう。いま行われる会話は80歳の私からしたら歳をとる途中のひとつの場面で私はそれぞれの言葉のやり取りをいつでも豊かに感じる。会話はその瞬間にしかそれぞれ成立しないのだ。生きるってことはある意味時間芸術なのか。音楽のように生きている。豊かさを感じれるならね。ゲオに行ってマンガ借りたい。

(博士課程候補)世界って大きく見れば狭いけど、時間はやっぱり有限

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博士課程行くとしたら(あまりに周りに他の国に行くことを勧められた)、スイス、UCSD、バルセロナ、ユトレヒト、ラドバウド大学、イスラエル、グラーツ工科大学、ヘルシンキ大学、ミュンヘン大学、MindMaze、UK、イタリア。くらいか。カナダはAIはつよいけどBCIはそこまで聞かないし。BCI学会から探すのでよさそうだけどね。

 

どうやったらもっと人生おもしろくなるかという視点でもはやよいと思う。UCSDに行ければ毎日ソーク研究所にいけるけどな。

 

 

なぜ小説を読むのか

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既視感に耐えられないからだと思う(退屈は好奇心のつよさの裏返しである)。

 

個人的な会話がしたいのだ。ただ、Twichでコメントしようがオンラインゲームでチャットしようがそれはいつもの光景だから楽しくない。とてもではないけど耐えることができない。

 

小説はよい(マンガもよい)。いつでも私にとって個人的な世界であり、個人的にに認識する世界とのインタラクションだからだ。それが文庫本だと400円くらいで読めちゃうのはすごい。彼らは全員、私より頭のよい人たちだからだ。「小説を書くこと」をときには"だけ"、ときには"中心に"に考える本質に置くことができていたからだ。うらやましい。

 

私の考えは散らばっている。それは悪いということでもなくだからよいということでもなく、そういうものなのだ、最近。

 

私は人と話すのが好きだ。その手段が本なのだ。本を読んだ時間が肉声での会話より長かったときが過去に死ぬほどあった。私からしたらどちらも他人との会話なのだ。私は興奮したい。あっと驚きたい(たぶんクリスティの読みすぎ)。そういった目的なら論文や文庫本を読んだほうがよいのだ。現実でも頼れる人を見つけていこう、とも言えるから今年の目標のひとつにしようかなバカバカしい!私には友達がいないのか!

ポストAI時代と教育機会

※機械学習(人工知能)の授業のティーチングアシスタント感想を含む

 

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エストニア人の学部生に一学期だけ授業補助をしていた。

 

・感想としての結論は、「英語できる/できない が今後の教育機会を決める」かなあ。情報にアクセスできるかでまず教育機会が決まって、そのあとの未来が変わりそうという感じ。アクセシビリティがちょっとでも足りないと知識(文化資本)の蓄積ができない世界。残酷なくらい断絶は大きい。英語で授業受けれるとだいぶ楽だよねーと。日本は義務教育がとてもよいとは思うけど、日本語の空間での情報検索にはまだ限りがあるという印象。

 

・スタンフォードなりハーバードの授業はオンラインに転がってるし、スーパーバイザーなりメンターが見つかればあとは勉強は一生できると思う。研究は大学で研究手法の授業とって研究の仕方習って大学図書館からの論文をダウンロードできないときついかもだけど。EUだとオープンアクセス広がっているしなんとか…。

 

・研究手法の授業もPDF転がってそうだしオンライン講義も探せばありそうか。Google scholarで名前ぐぐりまくるのも大事…。そういった基礎ができてれば大学から離れても生涯教育は続けていけると思う。

 

・うちの大学は宿題ほぼすべてオンラインで提出なので大学の教室行ってプロジェクタでビデオ授業とかになると「もうこれ自宅で学習でよくね?」とよくなる。だからこそ物理的な研究室および研究室にいる先輩研究者と会って話す機会に価値が浮き彫りになるのだが…。

 

・物理的な学習機会をいちばん重視してるのMBAコースの人たちだと思うから彼らのやり方は賢い。まだやっぱり物理交流のほうがオンラインよりは効率よいと思うので。臨場感の点で。まあVRならそれも乗り越えられそうだけどね…。どうなるのだろう将来…。

 

・結論に補足しておくと、自動翻訳の技術もすさまじいスピードで進歩しているから、ある意味いまって中途半端な時期でもあるんだろうなとも思う。過渡期。自動翻訳のみでコミュニケーションできる未来はくるだろうから。私は期待していないが。

 

・人生っていつでも何かしらの過渡期だね本当…。面倒だ。人生は長い。

 

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・授業について喋っていくと、セメスターの後半ではKaggleを扱った。Kaggleは国際的な統計・機械学習のコンペティション。最近Googleに買収もされた。そこに参加して任意の問題を解いてもらった。

 

・彼らは最終プレゼンの日に「機械学習についてKaggleの問題解いてみました(機械学習モデルの比較それぞれしてみました)、それを英語で説明する」みたいなのを行った。

 

・自分が彼らと同じ20歳くらいのときは酒飲んでからテスト受けてそのあとサークル棟に戻ってまた酒飲んでたので隔世の感がある。いつも天井がぐるぐるまわっていた。20歳の時点では彼らのほうが私の黒歴史のときより国際市場で価値が出る可能性が高い。今後がとても楽しみである。機械学習に興味が出た学生は勝手にまた学習進度をすすめるだろう。

 

・どう考えても朝まで飲んでてそのままプレゼン来ましたみたいな酒くさい学生1人いてエストニアでもそういうやついるのかと安心したのはよい思い出。帰っても酒飲んでいいよ。

 

・ハンターハンターのグリードアイランドで指導を開始する前にビスケがキルアとゴンに言ったセリフだったと思う。うろ覚えだけど、「あんたらが弱いことが問題じゃない。あんたらより強いプレイヤーがわんさかいることがゲーム攻略の問題なのよ」と。

 

・最近、有名になってきたエストニアだけど、それでも人口は150万人もいない。他の国ではもっとよい教育が行われているのだろうという危機感が留学生の私でもある。まあそこらへんが英語がんばってる理由でもあるのだとは思う。(OECDの2015年国際学力テストではエストニアはEU1位、世界3位。学力のばらつきが世界1位少なかったんだけどね。日本はそのとき世界2位、1位はシンガポール)

 

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ポストAI時代の話。

 

・今回の学生たちに将来もし子どもがいるとする。子どもたちの世代はAIネイティブとなるだろう。おそらくロボットかアバターの身体をもつ人間のように振る舞う知能モデルと接することに違和感がない人たちになると思う。

 

・人工知能のアバターが自動翻訳の仲介として働いてくれれば便利なのだけど。AIと喋ってたら勝手に学んでるくらいが楽そうだけどね…。AIが学習機会をユーザーに引っ張ってくるぐらいがちょうどよい。がんばれオープンアクセス。論文も勝手に管理ソフトにたまるようになってるといいね。

 

・HCI(Human computer interaction)というよりはHAI(Human agent interaction)か。

 

・んでもってエストニアは英語教育ちょーがんばってるので既存の質が高いオンライン英語授業も問題ないだろうなと。エストニアの先生たちは本当にがんばってください応援しています…(エストニアは先生の社会的地位が日本と比べてとても低い、高校の先生が好きだったというエストニア人の大学生にまだ出会ったことがマジでない…)

 

・将来でも学歴の価値はずっと変わらないと思う。ただ、とびきり世界ランキングが高い大学があるわけでもないエストニアにとって、オンラインでのフリー教材は学習の力強い可能性を提供してくれると思う。人生の可能性を。こう書いていると思うんだけけど、やっぱりメンターとスーパーバイザーにうまく会えるかどうかで人生が変わってくるんだろうなと思う。年齢に関係なく、自分より鍛えている人に聞ける環境があるかどうかなのだが。

 

・いろいろ言ったけど、大事なのは、英語でフリーの良質な教材にアクセスできて、メンターと英語でコミュニケーションとれるかじゃないかな。いまは自動翻訳の質と普及率については過渡期だ。よっていま勉強するなら英語じゃないときついぜーって感じ。

 

・日本はもう若手が研究がんばる国やめてそうな気がするのだけどどうなのだろう。官僚の人たちのトップ層は優秀だと思っている。研究力落とそうと狙ってやっているのならそういう成果出てるし。防衛費落として自衛隊つよくなるなら話は簡単なんだけどね…。

 

・というか競争という言葉は削るべくして削るための方便のような気がしている。一般会計の社会保障費が減った年って最近だといつだろう? 毎年4月と9月に行われる私たちの年金と健康保険の負担改定において額が減った年って2000年に入ってからあったっけ?

 

・学問というより社会保障費をなんとかする国なのだとは思うので限界はあるというのには完全に同意。環境がきびしくなろうと、日本の研究者とエンジニアは世界でもトップクラスであるとは確信している。問題は人口構造とか平均年齢とか社会保障費とか英語とかじゃないかな…。日本はいつ平均年齢が45歳以下になるのだろう今後…。

 

(ここでDelete key押したら安物のキーボードなのでボタンがふっとんだので丁度よいし書くのをやめたいと思う)

生きるの向いてない

年が変わるまではBBCラジオは6番を聴くことにした。いちおう、世間的にはおやすみなので…。受付の人に無理を言って大学はクリスマス休暇に入っているのにラボを開けてもらった…。早く終われこの地獄なのか背中燃えてんのかわからない日々。いちばん燃えたほうがいいのは私の頭のなかの憂鬱だが。The chaos is inside my head...。

 

今日も論文大量に見つけれて楽しいは楽しんだけどほんとしんどい。胃が痛いし成績は悪くなっていく一方だしつらい。逆に怖いものがなくなったとは言えるんだけどね。私が何をやりたいのかいまはまったくわからないというか、退屈を殺していけるならなんだってするぜこちとらネトゲ廃人だぜいえーい的な。いやもうそんな体力など残っていない。

 

終わってくれるのだろうか論文。生きるの向いてないとは言わない。しかし現世に向いてなかったような気がする。違う世界線を目指して生きていきたい。

自分の怠惰さと行動力のなさに嫌気がさす

成績面で大やらかしをしてしまい、交渉次第ではこんな結末を防げたよなあと思って非常に後悔している。交渉のアイデアはあったのに楽観的にとらえすぎていて臨場感がわかなくて実行にはけっきょく移さなかった。

 

こういった場合に必要なのは、「だったらどうする?」の考え方なのだけど、正直なところ、内部進学ならまったく影響はない。政府奨学金は1年毎の査定なので、セメスター途中で成績が落ちたとても途中で打ち切られることはない。資金面に変更はないのは事実。

 

海外に応募するときに影響はあるのだろうけど、博士課程の場合、研究面のほうが見られるから残りの期間は研究に打ち込むとしよう。

 

しかしバカだったなあと。もっと簡単な授業をとればよかった。

 

後悔よりは行動を取りたいので。とりあえず他の博士課程も視野に入れておこうくらいしかないけど、私はやっぱりめんどうくさがりなのでこのまま内部進学すると思う。インターンはスイスに出すけど。

 

わかったこととしては、私はIELTSを受ける気力も体力も実力も資金的余裕もないということだ。それがわかっただけラッキーということにしておこう。しかし、やっぱり賢くないというか、私らしいというか。

個性とは好奇心の残りかすが集まったもの

攻殻機動隊観たあと(タチコマかわいいなあってなったあと)の寝起きで思いついた。

 

RNN系の並列化(並列化されたそれぞれのものの同化処理)のどこかに重みづけとして好奇心というものを入れたモデルを構築できないだろうか。

 

簡単に言えば、並列化を完全に行えないような微妙なズレを生むきっかけみたいなもの(それを好奇心ということにして)を設計のなかに入れることはできないだろうか。

 

並列同化処理の度にガラスの表面についた傷が少しづつ大きくなっていくように学習内容に傾斜がかかっていった結果(好奇心の度重なる残りかす)が個性なんじゃないのかな。

 

個性を尊重する教育、というのは少なくとも好奇心を尊重し伸ばす教育でないと論理的でないと思う。最も重視すべきは好奇心を殺さない教育だとは思う。好奇心を持たないように学習性無力感を覚えてしまった人間には可能性の余地すらないんだから人間に対しての残酷な行為だと思う。

やっとテスト最終日

夢がひどかった。私はTVスタジオにいた。背後にはTVがあってそこから違う番組の音が大きめに聞こえている。ライブを目の前で観たのだけど、最初は誰だかわからないおっさんのアコーディオンショーだった。紙の素材が多分に含まれていて、旅行のときはその中に荷物を入れて運べるらしい。ブルース風の演奏だった。後ろのTVから流れてくる音にかき消されるくらい楽器の音が小さかった。あれはだれだったんだろう。顔がわからない人が夢に出てくるのはめずらしい。そもそもこのライブは岸部シローのためのもので、ゲストが彼だったのだ。次のライブは加藤茶によるDJブースからの打ち込み曲発表で曲名は「ココナッツ代表」だった。岸部シローが「茶さん、あれ聴きたいな、ココナッツ代表」というので画面がDJブースにカメラが首をまわして画面が移動する。その曲がものすごくいい曲で目を覚ましたときには口ずさめたんだけどいまは忘れてしまった。私は寝起きのときすさまじく体温が高めなのでこの夢でうなされて起きたと思う。

 

泉谷しげるの「春夏秋冬」と井上陽水の「夢の中へ」を聴いて目を覚まそうと努力する。もう一度寝れるなら寝たかった。二度寝を。

 

これからまた論文を読む。発表うまくいくとよいが嫌な予感しかしない。今日は午前中が英語の最終テストで、午後から学外合同プロジェクトの最終発表だ。午前は私ひとりで済むけど、午後は3人での発表だから不安だ。そもそも彼らは大学でよくある頭の使い方がわかっていないように見える。でも大学入りたてだから仕方ないと思う。うまく単位を取りたい。今日が終われば年末まではひとまず自由。論文読んで実験環境のデザインまでいければよい。私の悪いところは100時間あったら100時間稼働できると思うところだ。私は人間であって機械ではない。

2018年の振り返り

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ほぼ機械学習だったり。精神的に体調を崩す事が多かった。1週間で1時間しか外に出ないで自習していくの個人的には無理。リモートワーク向いてない。ラボに週6で行く生活のほうがまし。

 

スイスで自分の興味範囲と同じ領域をビジネスでやっている人たちがいて心から嬉しかった。私は大学に残ってテニュア狙いたいわけではないからしばらく研究機関で働きたいな。どこまで行けるのかを知ってみたい。上司から推薦文をLinkedinに書いてもらったら週明けにでも応募してみたい。大学の授業はもう本気でどうだってよい。楽しんだけど、まあ。

 

今年はBrain computer interfaceの色合いがつよい年だったと思う。6月には日本にも行っていろんな人に会えたし説明もいろいろできた。来年もさらなる飛躍をしたいし周りにいて私と接してくれる人たちを限界を超えて出世させていきたい。主に上司、我がチーム。

 

友達ともっと遊びたかったなあと思う。けど、仕方ないか。けっきょく、1年半でエストニアの外に遊びに行ったのはスウェーデンだけだったよ。ストックホルム。正直、タリンの旧市街と町並み似てるからそこまで驚きがあったかというとそうでもない。フェリーのなかで友達たちと遊んでたほうが楽しかったと思う。海賊博物館でガイコツの写真取りまくって楽しかった。つけくわえるならば。

 

もっと人間味を身に着けて学生らしい生活をしたいのだけど、もう無理そうだ。人間を週に5回くらいやめてる。まあ、それで前に進めるならいんだけども。旅行も友達と遊ぶ記憶もほとんどない1年だった。でもいま集中して前に少しでも歩を進めたい。修士卒業したら博士課程始まるまでは夏休みだからそのときにでもまた考えよう。ジョージア行けなくてすまんジョージア人の友人たち。

 

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  私のいま心のいち部分を占めているのは、後悔なく生きたいという気持ちだ。遊んだことが後悔になりそうで怖い(しかも私の性格からして判断した私自身への自己嫌悪と友人と行かなきゃよかったという気持ちが同質的に発生しそうだ)。別に人間らしくいま暮らしたいわけじゃないからしばらくこの生活リズムは続くと思う。まだまだサボっているほうだと思うし。ただ、このくらいのバッファでよいかなとは思っている。倒れるのめんどくさいんだもう。

 

スイスのインターン応募のために修士論文のテーマを変えると思う。年内にコアになる論文についてのまとめは行う予定。時間的には問題ないと思う。テスト勉強いっさいしなければ。

 

理想としては、博士編入と並列してスイスインターン決まれば前に進む道が方向性づいてよいかなあ。私の興味領域は軍事か医療がマーケットサイズ大きいから、しばらくは医療を視野に入れて行く予定。前の研究テーマは日本人(東アジア人)の英語能力の向上についてだったんだけど、ご飯たべれるかわからんし一旦やめようと思う。月曜に上司に相談するつもり。

 

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なんていうか、ラボの人と話したり卓球したり機械学習の関数の扱いについて上司からアドバイスもらったり。そういうのは楽しいのだけど、もっと大学の友達と学生らしいことしておけばよかったなあと思うんだけど、1日サボるとどれくらい遅れてるかが最近ははっきりわかるようになってきたからなあ。まあ、博士課程だとさらに精神を病む確率がデータ的には上がるらしいし、孤独とはうまく付き合っていこうと思う。ときどき日本の人たちとはビデオ電話しよう。

 

すべてを手に入れるのは無理なのだろうかなあ。思い込みではあるのはわかってるんだけどね。エリートの人たちは人生を楽しんでいるはずだ…。生産性の定義はいつも「自分にとって一番たいせつなものを自分で決めることができる能力」ということでね…。私は私が認識している世界というものの可能性についてどれくらい可能性が存在しているのかが知りたいし、ああやっぱりインターン合格したい。受かれ。上司よい推薦文書いて。

 

 

 

 

投資を受けるHCI系ラボが増えるだろうなと

2,800万ドル獲得してるCTRL-labsはEEG系のKaggleコンペで優勝したAlexandre Barachantさんがかかわってるようなので神。

 

MindMazeがいちばん研究的には興味ある。

 

何がおもしろいってPhd集めてる小規模なラボにGoogleとかAmazonが投資してるとこだと思う。